産まれてきてくれてありがとう

産まれてきてくれてありがとう
久々の投稿です。
今年3月9日に第二子、男の子を授かりました。奇しくも長男と同じ誕生日に。
思えば妻が「〇〇(長男)をお兄ちゃんにしたい。」との話があり、それに共感。
しかし、40歳を過ぎる自分がもう一度赤ちゃんを育てることはできるのか?
子どもが大きくなって授業参観に行ったとき、子どもが恥ずかしい思いをしないかなど、かなり思い悩みました。
しかし、妻のことばが踏み切る力を与えてくれました。
次男に出会うまでいろいろありました。ほんとういろいろ…
次男の寝ている顔やまっすぐ自分を見つめる瞳をみていると、ほんとう出逢えてよかったとしみじみと思います。

出産の日、産まれて抱っこしてしばらくした時、主治医が来て、
「あかちゃんですが・・・」
「先ほどチアノーゼが出て、徐脈とけいれん発作がありました。」
「これからNICUに入りますので、準備してください。」
と言われ、喜んだのも束の間、すぐにNICUに入りました。
体にはたくさんのモニターのラインがついて、BiPAPという呼吸補助具を小さな顔面につけられていたのを見たときには、ほんとうに心が張り裂ける思いでした。
「神は何を考えているのだろう?」
「こんな無情なことがあるのか?」
「できるなら自分が代わってやりたい!
「神も仏もない!」と思いました。
これを読まれているカルト系クリスチャンの方がいたら、「なんて不信仰な!」とお叱りを受けるでしょうね(笑)。
大丈夫ですよ。神は「アバ、父」(『父ちゃん』)と呼べるお方ですから。
人が思うことは全てお見通しなのですから、隠す必要はないのです。
そう思うことで私を見捨てる「小さな心の方」ではありませんので(笑)。
しかし、これを書いていて思ったのは、「カルト系クリスチャンは人の心(思い)を大事にしないんだろうなぁ」とおもいました。
「神のため、神のため…」と言いながら「神と隣人を愛する」という、聖書の一番大事な教えを忘れている…
話をもどしましょう。
NICUに入ってから自分は病院と自宅を往復の日々。長男の世話をしつつ、妻と次男の面会の日々…
ホントこれだけの繰り返し。でも、一番つらかったのは次男だと思います。
「夜中自分達が傍にいることができずに寂しい思いをしているのではないか?」
「苦しいまま、この世を一人で去ってしまうのではないか?」と自宅で長男と休んでいるときも、
居ても立っても居られない気持ちになり、今にも病院に駆けつけたくなる衝動に何度かられたか。
今こうして振り返ってみると、「何気ない日常」は、本当は何もない日常ではなく、「奇跡の日々」なのだなぁと思います。
忙しい日常の中でも子どもたちがふたりそろって眠っているのをみると、とても愛おしく、心から「産まれてきてくれてありがとう」と思います。
あとこの先どれくらい一緒に暮らせるのかわからないけれど、この世にいる間、夫婦、子供たちとの一緒の時間を大切にし、
生きていこうと思います。


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この記事へのコメント
魂くん お久しぶりです。

次男君誕生おめでとうございます。

いろんなことがあったんですね。

子どもために自分が代わってあげらっるのならって
親は辛い思いをしているこどものためならなんでもしてあげたいって思うものですよね。

~何気ない日常」は、本当は何もない日常ではなく、「奇跡の日々」なのだなぁと思います~

魂くんの経験から忘れがちななる
毎日が奇跡の日々なんだ~って痛感させられます。
感謝!なことなんだって
授かった二人の子どもたちが夫婦に力と一致と優しさをますます与えていくことだろうと思います。
Posted by ピーチャンピーチャン at 2017年09月08日 14:13
ピーチャンさん
いつもコメントありがとうございます。
親になって親の気持ちがどんなものなのかわかりますね。こどものためならなんでもしてあげたいと思う気持ち。きっと神が僕らの親なら、なんでもしてあげたいんだろうなぁと。さらに思いが深まる感じがします。感謝です。
Posted by 魂くん魂くん at 2017年10月22日 09:33
 
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