沖縄牧会問題研究会 第1回シンポジウム

今日は、昨年12月から通わさせてもらっている教会で開催された、シンポジウムに参加しました。

『沖縄牧会問題研究会 第1回シンポジウム
  “今の「教会」を考える”~プロテスタント教会の現状と課題~』

沖縄牧会問題研究会HP→ http://www.geocities.jp/okinawabokkai/index.htm

参加しての感想は…
キリスト教会には問題が起こっているということを再確認しました。
いや、以前から「問題は起こっていた。」というべきでしょうか。
インターネット普及の時代になり、情報を多くの人たちに伝えることが出来るようになりました。
その流れに乗り、キリスト教会の様々な情報も流れるようになり、個々の声も聞かれるようになりました。
その中でも牧会問題に関する声は多くみられるような気がします。
キリスト教会のカルト化もその一つです。

自分も今までの信仰生活の中で、「教会とは?」、「キリスト教とは?」、「宗教とは?」と、考えさせられることが多々ありました。
自分はキリスト教信者ですが、正直、
「宗教やっています。教会にいっています。」というのは恥ずかしいという思いがあります。
そういうことを言うとキリスト教関係者からは、「なんということを…!」と非難を買うでしょう。
しかし、現代、宗教をやっている方々の特徴として、現実離れしているところが多々あるように感じています。
そこは嫌いなところなんです。

以前通っていた教会では…
新聞などの情報誌は読んではいけない、
スポーツ雑誌も読んではいけない、
牧師が認めたキリスト教関係の書物以外は読んではいけない、
神学書は信仰が落ちるから読んではいけない、
何か決め事をするときは牧師に祈ってもらってからでないと決めちゃいけない、
皆が牧師と同じような仕草、同じような言葉、同じような服装をすることが推奨されるetc…
というような風潮がありました。

以前の問題のある教会に通っている間は、「それも仕方ないのかなぁ、それがキリスト教なんだ」と思っていました。
でも今、通っている教会の牧師さんとの学びを通し、また自分で神学を学ぶようになって、
「キリスト教ってなんて広く、深いんだろう」と同時に、
「なんて単純なんだろう」と思えるようになりました。
神はキリストを信じるだけで、人と和解し、神の子としてくださる。
それ以外の条件はいらない。

お金をいくら積まないといけない、
修行しないといけない、
奉仕しないといけない、
良い行いをしないといけない…

そういうのはないんです。
単純にキリストを信じるだけです。
それで腐った僕ら人間を無条件で受け入れてくれる。
ありのままの僕を受け入れてくれている。ありのままで。
半分の受け入れではなく、100%で。
まさに「恵み」なんです。
「恵み」の意味は深い。
そのことをわかっていないキリスト教徒がなんと多いことか…
いまでも、修行や苦行、善行で神に受け入れられようとしている人が多くいます。
今、教会で牧師は、信徒にどのように教えているのでしょうか?
牧師の都合の良いように、聖書の言葉を使って信徒を操っているとの情報もきかれます。
もちろん牧師に責任はありますが、信徒の責任も一部あると思います。
あまりにも聖書とキリスト教の歴史を知らなさ過ぎるし、牧師に頼りすぎている。
牧師がいないと成立たない信仰ってどうなのかな。
プロテスタント教会は「万人祭司」なので、神と信徒の間には何もないはずですが?
もちろん牧師の尊敬すべきところは認めて尊敬するのは正しいと思います。
そうではなく、現在は牧師を神格化してしまい、牧師と神を一緒にしていることが問題です。
牧師も間違うし、罪も犯します。神ではない。
牧師に意見するのは神に意見することなのでしょうか?
プロテスタントでは、通信制で神学校に行けば牧師になれるところもあります。
だれでもなれるわけです。けっして牧師は特別な人ではない。
これからの時代は信徒が聖書を、キリスト教の歴史を学んで、良い意味で牧師や信徒を見張らないといけない。
そうやってよりよいキリスト教を守り、作り上げ、継承していかなければならない。
そうすることにより、私のように「宗教やっています。教会にいっています」ということに対し、
「恥ずかしい」といわなくてもよいキリスト教徒になっていけるのではないか、と思います。


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この記事へのコメント
魂くん こんばんわ

クリスチャンとして恵みをともに分かち合いたいものです。
律法から開放されて恵みの中で生かされているクリスチャンってどんなに素晴らしいことでしょう!

わたしたちを罪を赦すために十字架に架かり愛してくれた方がいる。信じて恵みの中で憩うことを願っている方がいる。
Posted by ピーチャンピーチャン at 2011年11月06日 19:39
>ピーチャンさん
大変コメント遅れましてすいません。
コメントありがとうございます。(^^;)

自分が信じ、人生をかけているキリスト教を
もっと多くのキリスト者が主体性を持って信じて欲しいです。
ただ牧師・教会のいわれるままに信じるのではなく…

「恵み」という言葉一つとっても、多分
多くのキリスト者の理解は浅いように思います。
キリスト教の中心的な言葉と自分は捉えています。
「恵み」を分かち合いたいですね。
Posted by 魂くん魂くん at 2013年03月10日 01:43
 
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